没落亭日誌

科学史/メディア論のリサーチ・ダイアリー

10 Sep 2019: Guy "Numerical Method" (1839) "Seasons, Weather, Sickness" (1843)

  • Guyのデータ観を確認するために「Numerical Method」(1839)と「Seasons, Weather, Sickness」(1843)を読む。
  • こんなにゆっくりしていたらいつまでたっても論文書けない気がしてきた。

Guy, 1839, Numerical Method

  • 文献情報:William Guy, 1839, "On the Value of the Numerical Method as Applied to Science, but Especially to Physiology and Medicine", Journal of the Statisitcal Society of London, vol. 2-1, pp. 25-47.
  • 論文の基本的主張はmedicineが産み出す知識がprobableであることは避けがたいが、numerical methodを導入することで産出される知識をよりcertainにしようとするもの。 経験科学においてnumerical methodを行う際にどうしても生じてしまう問題点などについて、わりと細かく論じている。
  • (数学などの)抽象的レベルではcertainな関係性を打ち立てることは容易であるが、現実世界との接点をもたないといけないタイプの科学においては完全な意味でのcertainな知識を作ることは困難というのが基本的な方向性。論文中では諸科学が知識のcertaintyの程度で序列化でき、共通の発展過程をたどることが前提とされるような科学観が開陳される。経験的対象を扱いながらcertainな知識を産み出すことのできるモデルとして提示されるのは天文学。
  • statisticsは社会的存在としての人間を対象とした包括的な科学だと主張される。こうしたはSSLでしばしば繰り返されるものだが、ここでは明確にpolitical economyやstate medicineをstatisticsの一部だと見なす発言をしており大変重要。statisticと大きく重なるところのmedicineやhygieneが取り上げられる。
  • 興味深いのは大量観察の必要性を主張しつつ、そうした観察行為に不可避的にerrorが紛れ込む可能性をみとめていること。こうした観測誤差の問題は大量観察時においては、プラスの誤差とマイナスの誤差が相互に打ち消し合うので、平均値には大きな影響はないという誤差論が展開されている。これは誤差のランダムさを仮定しているように見える。ここでは誤差の原因はsenseやobservationにおけるinstrumentの使用など、現実世界との接点でerrorsが忍び込むという、senseへの不信が示されており興味深い。ガイの観測理論(あるいは19世紀イギリスの統計学者)においては観測者がもつバイアスという問題設定が欠如している印象を持つのだが、ここでのガイの観測誤差への関心とそこでの(ランダムではない誤差を引き越しかねない)組織だったバイアスというトピックについての議論のなさは、そうした印象の正しさを示す傍証ともいえるかもしれない。

    • そもそも、バイアスという観念が生じたのは19世紀後半から20世紀らへんの心理学実験のなかでないかという勝手な予測を立てている。根拠は特にない。
  • Guyはwordsをfiguresに置き換えるという表現が何度も繰り返している。自然言語や人間感覚を不正確とみなし、それを誤算の原因に据える議論。これはおそらくそれほど珍しいものではないが、当時としてはそれなりに新しかった可能性がある。
  • もう一つ興味深いのは、普通の観察と統計的観察の連続性を強調し、その上で統計的観察の優位を打ち立てている論の進め方。たとえば、非常に優れた医師がもつ一瞥がもちうるポテンシャルについても、そうした医師が瞬時に抱くimpressionを無意識に行われる確率計算だと主張することで確率計算とわれわれの日常的活動の同一性を打ち立てその効用性を認めつつ、同時にそれが通常の確率計算よりも優れている(impressionにもとづく判断はあやまりやすく、経験によって特別の観察眼をえるものもいるがそれは伝授不可能)ことを示そうという二段階戦略を採用しているように思える。

    • この医師は無意識的確率計算を行っているという主張については何の証拠も示されないのだが、これはそもそも証拠を示して現にそうだと主張するようなものではなく、そういう風に見てみよう的な提案なのかもしれない。が、ここでは仮定と現実の記述がわりとぐちゃぐちゃになってそうなポイントである。
  • 医学においてnumerical methodの導入がすすまない問題として、大量観察とnumerical methodによって出される知見と、individual caseについての適用可能性という問題、そしてそれ以上に、患者の命を救おうとする医療従事者にとって個別の患者の処置と大量観察/大量施行の間ではズレがあり、前者を優先してしまうという問題が指摘されている。これは自然なことなのだが、医学がartからscienceとなる障壁としてこの問題が理解されているのは興味深い。

    • Its practical character, the chief source of its value, is the very element of its weakness. If medicine were less exclusively a practical art it would soon become a more perfect science. If the alternatives of ease or suffering, of life or death, did not depend upon the treatment which the medical man adopts, he would be more willing to try the efficacy of new methods of cure --- if, in fact, individual cases hold a less prominent place in his thoughts, he would direct more attention to the discovery of general laws. (p. 46)

Guy, 1841, Seasons, Weather, Sickness

  • 書誌情報:William Guy, 1843, "An Attempt to Determine the Influence of the Seasons and Weather on Sickness andMortality", JSSL, pp. 133-150.
  • 明確に仮説検証型論文。結論は基本的には気温と病人の数の間には相関関係がある(が、例外もたくさんある)というもの。
  • 使用されるデータの詳細な解説と正当化。完璧なデータではないことをわりと容易に認める。
  • 数表ばかりでグラフを使用しないため、かなりデータ間の相関関係が見にくい。それに配慮して順序相関のようなものをつかっている。
  • 四半期での区別が適切でないと季節という別の区分を導入したりしている。だが、公開データの場合かならずしもこうしたデータの再構築はできない(月別のデータがない限り)。
  • 追加データの使用。データの使用に際して謝辞が利用されている。これはdata citationの実践という観点から重要。また、データの論文からの引用もある。これはEdinburgh Medeical and Surgical Journalに発表されたDr Batemanというひとのレポート。この人の元々のレポートの主題も確認する必要がある。
  • かなり強引にまとめたあとに、データが(数千件あるにもかかわらず)「小さい」から結果の解釈には慎重にという助言が付される。これはデータサイズの問題として考えると興味深い。

    • These results must be received with some reserve, as they are founded on a comparatively i,mall number of facts; but they are prooobly not very far from the truth. At any rate they may prove suggestive of future enquiries, founded upon a broader basis. (p. 149)