人文研がサイバー攻撃を受けたらしく、人文研から支給されているzinbun.kyoto-u.ac.jpのメールアドレスが使えなくなりました。3月3日以降に送られたメールは受け取れていない可能性があります。
今後、岡澤にご連絡される方はgmailないし、kyoto-u.ac.jpのアドレスをご利用ください。
メディア論と科学技術史の交点となるような雑誌、Grey Roomが有力候補だと思うがInformation, Communication & Societyというのもあって、データ研究とはかはのっているらしい。ちょっとよく知らないで後でチェックしよう。
京都大学人文科学研究所「歴史的メディア認識論:テレビ史におけるメディア論とテクノサイエンスの交錯」共同研究班(班長:ショーン・ハンスン)では、以下の要領でテレビジョン・アーカイブスをテーマとしたワークショップを開催することとなりました。前回の「〈視聴者〉の系譜」ワークショップに引き続き、科学技術史とメディア論の双方からテレビジョンを再考するというものですが、今回は特に「アーカイブス」という観点から、科学技術史、映像文化史、メディア考古学、放送史などの接点を探っていきたいと思います。ふるってご参加下さい。
岩波の『思想』に「範例と二人の哲学者──推論する動物たちの生態史のために」を寄稿しました。
「トマス・クーン──『科学革命の構造』再読」という『科学革命の構造』の新訳出版を記念した小特集だったのですが、新訳にはイアン・ハッキングの序文がつけられているので、ハッキングからみたクーンみたいな論文でもいいよ、ということになり、お言葉に甘えて私なりのイアン・ハッキング論にしました。5月に亡くなってしまったハッキングへの事実上の追悼論文です。
私は始めに活字になった文章が、同じ『思想』の2012年5月号に掲載されたハッキングの翻訳「生権力と印刷された数字の雪崩」でしたし、ハッキングが亡くなってすぐのタイミングに何か書きたいと思っていたので、この機会を頂けてとてもよかったです。そういえば、今年は2013年の成城大学でのハッキング・シンポジウムからちょうど10年なんですね。
ハッキングの議論の中で私が一番関心があるのは「歴史的存在論 historical ontology」なのですが、これを直接クーンと結びつけてやるのはやや厳しそうだったので、模範的な実例として理解されるところのパラダイムにハッキングが見せた関心、およびハッキングによるクーンについての謎めいた評価「He was a fact lover and a truth seeker」という表現を手がかりとしながら、ハッキングによる推論のスタイル・プロジェクトをたどり、そこから垣間見えるハッキングのマテリアリズム、生態史、そして歴史的存在論の概要を描き、クーン以降の哲学的歴史の可能性を考えるという方向にしました。
歴史的存在論も、推論のスタイルの話も、マテリアリズムの話も、基本的にはだいたい以下の『知の歴史学(Historical Ontology)』に収録されています。これは名著で、また、せっかく読みやすい翻訳もあるのですが、なぜか絶版なので復刊してほしいところです。ハッキングの英語はかっこよくて読んでいて楽しいのですが、そうだとしても翻訳があるほうが圧倒的に便利でしょう。特にハッキングは、プロの研究者だけが読めば良いようなレベルの哲学者ではないので、是非復刊してほしいところです。
推論のスタイルプロジェクトについては、Why Is There Philosophy of Mathematics At All?にも簡単な紹介があります。これも邦訳があるので素晴らしいですね。私も邦訳で読みました。
英文で断片的ですが、以下も私には参考になりました。
執筆時間がかなり限られていたので、私なりにハッキングの議論の面白いと思える核心部分を大胆に素描するという方向で行きました。これは結果的に全体像的なものを描けてよかったようにも思いますが、その代償として個々の論点レベルできちんと論じきれてない部分が多く発生しています。精緻な議論でというよりは、勢いで駆け抜けた感じなので、良くも悪くもこのタイミングでしか書けなかったものでしょう。
ハッキングの議論において、もっとも面白いのは、新しい存在の可能性が生まれるという話でしょう。歴史的存在論というタイトルはそれを直裁的にあらわしていて、わたしは好きなのですが、生態史という発想は積層する概念や物質的諸装置の歴史、そうした所与を環境として展開される実践の歴史という側面を思い起こさせるので、そのイメージも悪くないなと、書いていて思いました。
ハッキングの「マテリアリズム」や、彼が『表現と介入』で展開する装置論などは、メディア論に関心があるひとなら、これはスゴイと思うと思うのですが、それと歴史的存在論との関連がよくわからなかったので(本人もあまり関係がないといいがちなので)、今回二つを繋ぐ方法を少し考えてみました。
最後、急にニーダム問題や動物の話になるのは、やや詰め込みすぎかとも思いましたが、このあたりは、今後丁寧に議論を深めていければと思います。
しばらく前に、「視聴者の系譜」ワークショップでご一緒した大久保遼さんから、ユッシ・パリッカ(梅田拓也・大久保遼・近藤和都・光岡寿郎訳)『メディア考古学とは何か?:デジタル時代のメディア文化研究』(東京大学出版会)の翻訳をいただきました。ありがとうございます。科学技術史とメディア論を繋げる上で、メディア考古学的な方向性はわりといけるのではないかという直観があるので、勉強させていただきます。
国立大学共同利用・共同研究拠点協議会が行っているシリーズ「すぐわかアカデミア。」シリーズの一環として、勤務先の京都大学人文科学研究所(人文研)紹介動画を作成・公開しました。
「すぐにわかる学術書の読み方:大量の本にどう向き合うか」というタイトルで、人文系の研究者がどうやって研究書を読むのかにフォーカスしたものとなっています。
私の専門が科学史とメディア論なので、科学史・科学論で行われるようになった科学者が実際にどのような研究活動をしているのかというラボラトリー・スタディーズ的な「実践」への関心と、メディアの物質性へのメディア論的関心をあわせることで、学術書を読むことに注目しました。
人文系の研究者はしばしば論文と同じく(あるいはそれ以上に)本を読むのですが、これは学術論文ばかりを読むタイプの非人文系の研究者からは、かなり特殊で理解しがたい現象に見えるでしょう。そこで動画では、自分の読書経験をもとに、人文研での実際の活動と関連付けながら、人文系の研究者が本・本棚・図書館・読書会といったものとどのようにつきあっているのかを素描することを目指しました。実際に研究者が利用している読書実践をあつかったこの動画が、学生や読書家の方にとっても参考になれば幸いです。文字で読んでも特に面白くはないですが、音声が聞き取りにくい人のために、読み上げ原稿をresearchmap上からダウンロードできるようにしておきました。
今回の動画で取り上げられている学術書は以下です。
この本は2022年度に人文研で結成された「科学的知識の共同性を支えるメディア実践に関する学際的研究」共同研究班(班長:河村賢さん)で、訳者の望月由紀さんと長谷正人さんをお招きして、合評会を行いました。動画に映っているのは私が合評会に向けて書き込みをしていた実物です。
人文研所員で科学史家の平岡隆二さんが記事を執筆されているだけでなく、平岡さんのご著書『南蛮系宇宙論の原点的研究』(花書院)も紹介されています。
ブック・ガイド関連で途中でちらっと映っている、スティーヴン・シェイピン、サイモン・シャッファー(吉本秀之 監訳、柴田和宏・坂本邦暢訳)『リヴァイアサンと空気ポンプ:ホッブズ、ボイル、実験的生活』(名古屋大学出版局)は特に人文研とは関係ありませんが、科学史研究上最大の名著の一つなので、どなたにもオススメできます。また、アン・ブレア(住本規子・廣田篤彦・正岡和恵訳)『情報爆発:初期近代ヨーロッパの情報管理術』(中央公論新社)の方も特に人文研とは関係ありませんが、初期近代における学知と読書の関係性を扱った科学史+メディア史的研究でですので、今回の動画に関心がある方には楽しめるかも知れません。
『客観性』は人文研所員で科学史家の瀬戸口明久さんがリーダーを務められたグループで翻訳し、私も翻訳に参加しました。
『客観性』の書評特集が組まれているのは『生物学史研究』の102号(2023年3月発行)です。人文研からは瀬戸口さんが寄稿されています。『生物学史研究』掲載の論文は発行から一定期間経つと、J-Stage上で閲覧可能になります。
また、実際の動画ではでてきませんが、私もTokyo Academic Review of Booksというオンライン雑誌で、『客観性』の書評を書いています。
注の使い方で紹介されている天文学史の文献は、以下の論文です。これは私が好きな科学史論文の一つです。
最後の方にでてくる、人文研開催の「Techniques of the Shichōsha/〈視聴者〉の系譜」ワークショップを主催されたダラム大学の科学史家・メディア史家であるショーン・ハンスンさんは、人文研で「歴史的メディア認識論:テレビ史におけるメディア論とテクノサイエンスの交錯」共同研究班の班長もされています。
ちなみに、科学者の活動を動画でとった特に優れた仕事として、科学史家のピーター・ギャリソンがブラックホールについて撮った映画『Black Holes: the Edge of All We Know』があり、Netflixでも見れます。すごくおすすめです。