- 新しい環境への適合や学会準備などに時間をとられていたが、さすがにもう8月なのでそろそろ論文を書いてsubmitしてい化亡ければならない。
- 歴史家の論文の書き方というのは社会科学系の論文の書き方とかなり違う印象がある。といっても、歴史家は多種多様で社会科学者も多種多様なのであれなのだが。
- 基本的な違いは先行研究レビューのために独立のセクションを設けて、ある程度網羅的にやるのかどうか。あとは、読みやすさを考慮して結論の繰り返しを行うか。
- これはフィールド、あるいはサブフィールドごとに結構異なる。
- Ameircan Review of Sociologyとかの印象だと先行研究レビューを網羅的にやるので、このひと本当に読んだのだろうかというレベルの関連文献が挙げられている。
- 一方、歴史家でも文化史系の人はあまりこういう書き方をしない印象がある。科学史もよくわからないが、Isis系に書く人はあまりしない印象がある。
- 科学史系の雑誌に出そうと思うので、ひとまず科学史における雑誌論文の書き方に対する一般的な期待をさぐる必要がある。
- そこで科学史系代表紙であるIsisから最近の論文5本くらい抜き出して先行研究とかの書き方について簡単に調べたい。
- ということで、最近のIan Hesketh (2019) "Technologies of the Scientific Self: John Tyndall and His Journal", Isis, 110-3, pp. 460-482. をよんだ。
Intro
- イントロは全部で3ページほどの分量/論文全体は23ページincluding タイトル+アブスト。
- Tyndallの人生とキャリアの振り返りと研究対象であるTyndallの日記の性質の紹介から始まる。
- 研究テーマであるscientific selfについては、日記においてself(およびethos/ethics)を焦点化するようなストーリーラインにはなっているが、scientific selfについての先行研究レビューはない。
- かわりに、Tyndallについての先行研究への言及はある。
- 次に(最近の科学史におけるbook historyの影響から)diaryやその他の書きもの自体がが探究の対象となってきているという現象があるが、Tyndallのdiaryが研究対象としてまだ十分に分析されていないことが告げられる。
- つまり、メディア論と科学史の近年の交錯と、そこでの先行研究がここで軽く触れられる。だが、レビューというほど包括的なものではない。
- 代表例はRichard Yeoによるnote-takingの議論。いいね!
Notebooks, English Virtuosi, and Early Modern Science
- 作者: Richard Yeo
- 出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr
- 発売日: 2014/03/01
- メディア: ハードカバー
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- その後、Daston&GalisonのObjectivityの議論へとつなげられる。ここで、Objectivityの議論の要約。
- 同時に、(Daston&Galison経由で)Foucaultによるtechnologies of the selfの話。
- mechanical objectivityとVictorian Britainに固有の話としてGeroge LevineのDying to Knowが引用されている。これは買おう。
Dying to Know: Scientific Epistemology and Narrative in Victorian England
- 作者: George Lewis Levine
- 出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr
- 発売日: 2002/09/15
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- 本文でもself-fashioningのはなしがちらっとでてくるが、そこまで包括的ではない。
main (全体)
- main部分は五つに分けられている。
- 一つ目はscientific selfとself-disciplineの話。
- 二つ目はscientific masculintyの話だが、前者と内容的にはかぶる点が多い。
- 三つ目は教師の経験とscientific selfの教示とmetorship。
- 四つ目はドイツ留学中の時間管理。
- 五つ目、イギリスに帰国以降のtemptationへの直面と苦心しながらもこのtemptationを乗り越えていく話。
- ここでの五つの分割はエピソードごとに分けられており、かならずしも研究トピックごとではない。それゆえに、わりといろいろなことが言われている/同じことが繰り返されているという印象を与える。だが、かなり細かくTyndallの活動を描いているのでそういう意味で価値があるのかもしれない。
- わたしは19世紀イギリスが専門と言うことになっており時期的にどんぴしゃなのでおもしろく読んだが、これが18世紀ドイツの話ならおそらくついていけなかったであろう。
- この書き方、Tyndallなみの大物科学者でしか使えないだろう。
- 結論部分ではscientific-selfの話をGerman idealism, transcendalism, scientific masculintyと結びつけ書いているのが売りなのだろうか。
- DastonとGalisonの議論に付け加える者としてclass dimensionの話をしている。しかし、これあんまりよくわからない。
- 最大の売りは、科学史とメディア論の交差で、diaryをそれ自体の権利において分析するということなのだとおもう。それは重要だし同意できる。
main (個別箇所)
- Victorian Britainのdiary cultureについての解説。
- DickensによるDiaryへの熱中のパロディー。Mr Nightingale's Diary。これ読んだことないがおもしろそう。
- diaryとself-fashioningの話。
- ここで、科学におけるself-fashioningの簡単なレビューが行われる。
- だが、scientific selfの問題はself-fashioningで想定されていたような表面的な人格の問題ではないということが強調される。
- ここでその根拠となるのはTyndallのselfの感覚が長期間にわたるself-cultivationと結びついているから。
- Tyndallが読んで感銘を受けた科学的英雄伝としてのCharles Knight, The Pursuite of Knowledge under Difficulties (1830)。
- patienceやself-negationの重要性を学ぶ。
- Tyndallに特に強い影響を与えたのはCarlyle(の著作Past and PresentやOn Heroes, Hero-Worship, and the Heroic in History)。
- これは興味深い。なぜなら、William Guyが抵抗しようとしていたのがCarlyleだから。
- しかし、Tyndallにとってself-cultivationは白人男性にしかひらかれていなかった。
- 1848年にはRalph Waldo Emersonのレクチャにも出て影響を受けた模様。
- self-discipline / self-denial / self-control / self-negation、そして究極的には十字架で死んだキリストのイメージを使った科学者像というのはVictorian Englandではわりとありふれていた。(p. 468)
- ここではself-disciplineの問題はbodily desireの制圧の問題として感が選れれている
- しかし、Guyの話を興味深い者にしているのは、そこで制圧されるべき対象がemotion/ (morbid) sympathyである点。
- こうしたasceticな文化とmasculintyとの関係性。
- Scientific masculinityについてはHeather Ellisによる著書、特に第5章を参照。
Masculinity and Science in Britain, 1831?1918 (Genders and Sexualities in History)
- 作者: Heather Ellis
- 出版社/メーカー: Palgrave Macmillan
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- Scientific masculinityについてはHeather Ellisによる著書
- Fichteの影響について。
- Tyndallの教師としての活動。
- biographyの活用。単に科学者/発明家の成果だけでなく、それを可能にしたinner selfを教える。
- Diaryを利用した活動時間の記録とそのモニタリング。
- イギリスに帰るとさまざまなtemptationに直面する。
- 日記による継続的自己観察がしばしば途切れること、それに対する罪悪感。これは日記が自己発展の中心的装置であることを示す。
コメント
- patienceの話を何度もしているので参考文献として使える。
- patience / self-denial / advancement of knowledgeのつながり。だが、わたしの論文では、社会科学をあつかうため、そこでは社会科学特有のtemptationが存在する。
- mechanical objectivityと社会科学の接点で起こったのは倫理的temptationであり、そこでは衝突は容易に解決できなかったはず。
- このはなしをするのにもしかしたらもうすこし当時のGuardianやTimesの記事をほってもよいかもしれない。
- Carlyleが重要な気もするので、Carlyleをもう少し読むか。
- もう一点は、この論文では日記と伝記という結構異なる種類のselfについての文書が扱われるが、焦点は日記(伝記を使ってTyndallがscientific selfを教えようとする話は大変おもしろいのだが)。わたしの論文ではもうすこし伝記と個人の顕彰の話をしたほうがいいのではないか。
- つまり、self-denialとかいうわけだが、同時にそうしたself-denialがheroを生むという逆説的な関係性?があるような印象。TyndallにとってNewtonが目標だったように。
- 科学者をめぐる聖人伝的伝記はすでに流通していたようだ。Charles Knight, The Pursuite of Knowledge under Difficulties (1830).
- 統計学とbiographyの問題ではKarl PearsonによるFrancis Galtonの伝記執筆の問題は避けられない。
- この論文ではscientific masculinityのところで女性の問題が一瞬出てくるが、わたしのものでもemotionalな女性や「東洋人」と男性科学者の対比があれば論じたいところ。