没落亭日誌

科学史/メディア論のリサーチ・ダイアリー

イアン・ハッキング追悼:「範例と二人の哲学者──推論する動物たちの生態史のために」

岩波の『思想』に「範例と二人の哲学者──推論する動物たちの生態史のために」を寄稿しました。

  • 岡澤康浩「範例と二人の哲学者──推論する動物たちの生態史のために」『思想』2023年10月号

「トマス・クーン──『科学革命の構造』再読」という『科学革命の構造』の新訳出版を記念した小特集だったのですが、新訳にはイアン・ハッキングの序文がつけられているので、ハッキングからみたクーンみたいな論文でもいいよ、ということになり、お言葉に甘えて私なりのイアン・ハッキング論にしました。5月に亡くなってしまったハッキングへの事実上の追悼論文です。

私は始めに活字になった文章が、同じ『思想』の2012年5月号に掲載されたハッキングの翻訳「生権力と印刷された数字の雪崩」でしたし、ハッキングが亡くなってすぐのタイミングに何か書きたいと思っていたので、この機会を頂けてとてもよかったです。そういえば、今年は2013年の成城大学でのハッキング・シンポジウムからちょうど10年なんですね。

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ハッキングの議論の中で私が一番関心があるのは「歴史的存在論 historical ontology」なのですが、これを直接クーンと結びつけてやるのはやや厳しそうだったので、模範的な実例として理解されるところのパラダイムにハッキングが見せた関心、およびハッキングによるクーンについての謎めいた評価「He was a fact lover and a truth seeker」という表現を手がかりとしながら、ハッキングによる推論のスタイル・プロジェクトをたどり、そこから垣間見えるハッキングのマテリアリズム、生態史、そして歴史的存在論の概要を描き、クーン以降の哲学的歴史の可能性を考えるという方向にしました。

歴史的存在論も、推論のスタイルの話も、マテリアリズムの話も、基本的にはだいたい以下の『知の歴史学(Historical Ontology)』に収録されています。これは名著で、また、せっかく読みやすい翻訳もあるのですが、なぜか絶版なので復刊してほしいところです。ハッキングの英語はかっこよくて読んでいて楽しいのですが、そうだとしても翻訳があるほうが圧倒的に便利でしょう。特にハッキングは、プロの研究者だけが読めば良いようなレベルの哲学者ではないので、是非復刊してほしいところです。

推論のスタイルプロジェクトについては、Why Is There Philosophy of Mathematics At All?にも簡単な紹介があります。これも邦訳があるので素晴らしいですね。私も邦訳で読みました。

英文で断片的ですが、以下も私には参考になりました。

  • Hacking, Ian. 2012. “‘Language, Truth and Reason’ 30years Later.” Studies in History and Philosophy of Science Part A, Part Special Issue: Styles of Thinking, 43 (4): 599–609.

執筆時間がかなり限られていたので、私なりにハッキングの議論の面白いと思える核心部分を大胆に素描するという方向で行きました。これは結果的に全体像的なものを描けてよかったようにも思いますが、その代償として個々の論点レベルできちんと論じきれてない部分が多く発生しています。精緻な議論でというよりは、勢いで駆け抜けた感じなので、良くも悪くもこのタイミングでしか書けなかったものでしょう。

ハッキングの議論において、もっとも面白いのは、新しい存在の可能性が生まれるという話でしょう。歴史的存在論というタイトルはそれを直裁的にあらわしていて、わたしは好きなのですが、生態史という発想は積層する概念や物質的諸装置の歴史、そうした所与を環境として展開される実践の歴史という側面を思い起こさせるので、そのイメージも悪くないなと、書いていて思いました。

ハッキングの「マテリアリズム」や、彼が『表現と介入』で展開する装置論などは、メディア論に関心があるひとなら、これはスゴイと思うと思うのですが、それと歴史的存在論との関連がよくわからなかったので(本人もあまり関係がないといいがちなので)、今回二つを繋ぐ方法を少し考えてみました。

最後、急にニーダム問題や動物の話になるのは、やや詰め込みすぎかとも思いましたが、このあたりは、今後丁寧に議論を深めていければと思います。