没落亭日誌

科学史/メディア論のリサーチ・ダイアリー

書記技術のマテリアリズム−−ブリュノ・ラトゥールのメディア論のために

現代思想』のラトゥール特集号に「書記技術のマテリアリズム−−ブリュノ・ラトゥールのメディア論のために」という文章を書きました。

ラトゥールとドイツ・メディア論の関係について論じてほしいというのが当初の注文でしたが、ちょっと厳しそうだったので、ラトゥールが『ラボラトリー・ライフ』や『科学論の実在』で展開していたインスクリプション論→その発展系としてのラインベルガーの実験系論(→ラインベルガー系の科学史・メディア論者のシュミドゲン)→ドイツ・メディア論系のひとたちとの緩やかなつながり、という感じでゆるしてもうらうことにしました。

内容的には、科学論が同時にメディア論になる場所としてラトゥールのメディア論は読めるし、そう読んだ時には、ラトゥールを真面目に受け止める科学論は、メディア論もまた真面目に受け取らないといけないのではないか、といった話です。

インベルガーとドイツ・メディア論系のひとたちは(議論の内容だけじゃなく)人脈的にも結構近いらしいという話は、英語で手に入るラインベルガーの伝記的記述からは確認できなかったのですが(Rheinberger, Hans-Jörg. 2013. “My Road to History of Science.” Science in Context 26 (4): 639–48.)、以下の『モノと媒体の人文学』にはそれっぽいことが書いてありました。

シュミドゲンの伝記はラトゥールの紹介本としても、科学論とメディア論の関係性を考える上で面白かったのですが、一方でシャルル・ペギーのラインを強調するのは、(ラトゥールの内在的理解としては正しくても)あまりインスクリプション論の発展のさせ方としては良くないような印象があります。このあたりは、きちんと考えるだけの時間がなかったので、今後考えていきたいところです。