Mandler編集本の読書日記。
Liberty And Authority in Victorian Britain
- 作者: Peter Mandler
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr on Demand
- 発売日: 2006/09/21
- メディア: ハードカバー
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正直、メモ取りながら読むとどうしてもすごく時間がかかるので、よくないかもしれない。
Ch. 1: State and Society in Victorian Britain (Peter Mandler)
ヴィクトリア朝イギリス政治におけるトピックの確認。Laissez-faire的国家というVictorian Stateのliberalism/individualismという広く受け入れられたイメージと、それと対立する介入主義的Victorian State。そこにおけるエリートがコントロールするStateと人々からなるSocietyという微妙な差異。そこではcitizenにはlibertyが認められつつ、citizensと見なされない者たち(女性、貧民)などへの容赦ない介入が行われたのではないかという疑念がある(特にRogersが担当する女性の身体への侵襲性の高いContagious Diseases Actsのケーススタディーをみよ)。こうしたStateとsocietyは互いに相互補完的に共働していたが、Reform Acts(1867, 1884)などによってよりdemocraticになると、同時にStateの介入領域にも変化が生じた可能性がある(societyの相対的重要性が増大?)。
研究史上では、A. V. Dicey(1905)がliberalなVictorian Stateというイメージを初めて提出(だが、同時にそれは介入主義的Benthamismにも言及していた)。Diceyは1880年以降の出来事を(偉大なliberalismからの)堕落と見なしていた。一方、New Liberalsとsocial democratsはclassical liberalismやindividualismの問題性を指摘するも、状況認識としてはmid-Victorianをliberal StateとするDiceyと同じだった模様。Fabian socialistはVictorian societyの中の社会改良的思考をもったBenthamiteたちを未来のwelfare stateを用意する設計者として好意的に描く歴史観を提出。この代表例はS. E. FinerによるEdwin Chadwickの伝記(S. E. Finer, 1952, The Life and Times of Sir Edwin Chadwick (Routledge Library Editions: The History of Social Welfare))。Chadwickはfactory regulation, poor law, public healthの改善を達成した人物として描かれる。その後、welfare stateの起源としてのVictorian Britainというイメージが強まり、それと同時になぜVictorian Stateがすでに完成されたlaissez-faire capitalismを放棄したのかが研究トピックに。capitalismの効果をめぐる'standard of living controversyなどが発生(この論争についてはsee, Arthur J. Taylor, ed., 1975, Standard of Living in Britain in the Industrial Revolution (Debates in Economic History).)。さらに、実際にイギリスのStateがどこまでlaissez-faireだったのかについての関心が生じる。laissez-faireと当時のpolitical economistの関係については次がよくまとまっているらしい。
- A W Coats, ed., 1971, Classical Economists and Economic Policy.
こうしたVictorian Stateがsocialistの期待したようなwelfare stateの先駆なのか、それともむしろconservativeなpaternalismなのかという問題もあった。Paternalism派としては以下の論文が重要。
- David Roberts, ‘Tory Paternalism and Social Reform in Early Victorian England’, American Historical Review, 63 (1958), 323–37.
研究史上もっとも重要な議論はrevolution in government論争。MacDonagh 1958'‘The Nineteenth-Century Revolution in Government: A Reappraisal’.'はFebian的なBenthamiteによるreformの設計という議論を批判して、social problemsを対処するbureaucraciesの登場について論じた。つまり、官僚機構の変貌が、Febianに先行した。
[I]n the nineteenth century, social problems arose, were identified, reached a level of ‘intolerability’, had bureaucracies established to treat them, and only at the end of the process did the bureaucrats take on an initiating power of their own, producing ‘a dynamic role for government within society, a new sort of state’. (cited from MacDounagh1958)
この成果は以下にまとめられている。
- Peter Stansky, ed., Victorian Revolution: Government in Victoria's Britain (New York, 1973)
- Gillian Sutherland, ed., Studies in the Growth of Nineteenth Century Government (Routledge Library Editions: Political Science Volume 33) (London, 1972).
ここではそうしたgovernmentの官僚機構の成長についてさまざまな議論が展開された(Benthamism, humanitarianism, paternalism)。
- Jenifer Hart, ‘Nineteenth-Century Social Reform: A Tory Interpretation of History’, Past and Present, 31 (1965), 39–61;
- William C. Lubenow, The Politics of Government Growth: Early Victorian Attitudes Toward State Intervention 1833–1848 (Newton Abbot, 1971)
- Patricia Hollis, ed., Pressure from Without in Victorian England (London, 1974)
- Paul Richards, ‘The State and Early Industrial Capitalism: The Case of the Handloom Weavers’, Past & Present, 83 (1979), 91–115
- David Roberts, Paternalism in Early Victorian England (New Brunswick, 1979);
- Peter Marsh, ed., The Conscience of the Victorian State (Syracuse, 1979);
- Philip Corrigan and Derek Sayer, The Great Arch: English State Formation as Cultural Revolution (Oxford, 1986).
The Great Arch: State Formation, Cultural Revolution and the Rise of Capitalism (Ideas S.)
- 作者: Philip Corrigan,Derek Sayer,G.E. Aylmer
- 出版社/メーカー: Blackwell Publishers
- 発売日: 1985/09/12
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結局、何がgovernment growthを突き動かしたのかについては諸説があり答えが出ないまま、福祉国家への関心の低下に伴いヴィクトリア朝国家への関心も低下。関心が再び盛り上がるのは、1980年だのアメリカにおけるneo-liberalismの登場以降。これによって、liberalismの歴史の流行。
最大の成果の一つはBoyd Hiltonがどのように保守主義者がliberalismを受け入れるに至ったかのliberal Toryismの研究。これは神の作った自然状態が邪悪な者たちを罰するので、人工的な政府介入は必要ないといったストーリー。
- Boyd Hilton, Corn, Cash, Commerce: The Economic Policies of the Tory Governments, 1815–1830 (Oxford, 1977); id
- Boyd Hilton, ‘Peel: A Reappraisal’, Historical Journal, 22 (1979),585–614;
- Boyd Hilton, The Age of Atonement: The Influence of Evangelicalism on Social and Economic Thought 1785–1865 (Oxford, 1988)
- 作者: Boyd Hilton
- 出版社/メーカー: Oxford University Press
- 発売日: 1992/01/30
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もう一つの成果は、Whigのinterventionistな傾向性に寄与したのか(characterの改善など)。さらに、laissez-faireの民衆的基盤やラディカルとのつながりについての研究も行われる。結果、特定の階級/特定の政治グループにLaisse-faire思想を帰属させることが困難に。こうして全体的にStateの役割が制限されていたという結論へと落ち着く。
これと真っ向から反対するのはFoucauldianのgovernmentalityに注目した歴史記述。政治史におけるこの代表がNikolas Rose[このあたりFoucaultを隠されたコントロールの理論家として理解している節があり、結構微妙である。が、これはそういう風にFoucaultの仕事を要約したRoseが悪いともいえる]。ともあれ、規範による人々のコントロールとしてState以外の要因が注目され、philanthropy、social investigationなどがその対象となる。
- Michael Ignatieff, Just Measure of Pain: The Penitentiary in the Industrial Revolution 1750-1850 (Peregrine Books) (New York, 1978)
- Michael Donnelly, Managing the Mind: Study in the Development of Medical Psychology in Early Nineteenth Century Britain (London, 1983)
- Frank Mort, Dangerous Sexualities: Medico-moral Politics in England Since 1830 (London, 1987)
- Mary Poovey, Making a Social Body: British Cultural Formation, 1830-1864 (Chicago, 1995)
- Christopher Hamlin, Public Health and Social Justice in the Age of Chadwick: Britain, 1800?1854 (Cambridge Studies in the History of Medicine) (Cambridge, 1998)
- Patrick Joyce, The Rule of Freedom: Liberalism and the Modern City (London, 2003).
- 作者: Christopher Hamlin
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 2010/06/28
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18世紀から19世紀にかけてのself-regulating societyとliberal subjectの登場。この変化が根本的なものだったのか、それ以前との連続性を強調するのかには論者によって違いがある。
ともあれ、18世紀からの急速な都市化と旧制度が変貌(崩壊している)という感覚がひろがり、社会問題への関心が浮上。こうした不安の表れとしての調査とsocial statistics。支配階級の中の犯罪への恐怖と、statisticsによる把握、そしてsocial controlへの欲望という(Marxistのときから存在するトピックでもあるが)Foucauldian的議論が起こる。
- Theodore M. Porter, The Rise of Statistical Thinking 1820-1900(Princeton, 1986)[ch.6はlibertyのなのもとでのstatisticsへの反発を扱っている]
- V A C Gatrell, ‘Crime, Authority and the Policeman-State’, in Thompson, ed., Cambridge Social History, iii. 243–310
- Howard Taylor, ‘Rationing Crime: The Political Economy of Criminal Statistics since the 1850s’, Economic History Review, 2nd ser., 51 (1998), 569–90
- Hamlin, Public Health and Social Justice in the Age of Chadwick: Britain, 1800?1854 (Cambridge Studies in the History of Medicine).
- [Foucaulian viewへの批判的検討]Peter Mandler, ‘After the Welfare State’, Journal of British Studies, 39 (2000), 382–8.
こうした変化はある程度は実際に起こっていたようだが、ともあれ重要なことはそれらが危機として経験され、さまざまな政治的/イデオロギー的処方箋が提案されたこと。
1880年までには都市部でliberalismがofficial ideologyとなり、liberal subjectが登場するようになる。authoritarianな介入のモードは退潮し、その介入対象はスティグマ化された存在へと限定される。だが、こうしたliberal subjectの生成には様々な方法/理由で起こったので、それを単一の理由(それがgovernmentであれ、governmentalityであれ)に還元するのは問題がある(ちょっと、Mandlerのgovernmentalityの使い方が特殊に見えるのだが、これはNikolas Rose系の議論にあわせてつかっているという理解でいいのだろうか)。
ともあれ、authoritarianなStateへの抵抗とindividualismを支えていたのはvoluntary associationsの存在。
- M J D Roberts, Making English Morals: Voluntary Association and Moral Reform in England, 1787-1886 (Cambridge Social and Cultural Histories) (CUP, 2004)
- Geoffrey Finlayson, Citizen, State, and Social Welfare in Britain 1830-1990 (Clarendon Press, 1994)
- Arthur Burns and Joanna Innes, eds., Rethinking the Age of Reform: Britain 1780-1850 (Past and Present Publications) (CUP, 2003).
voluntary associationsを通じてのsocial reform活動は女性に(Stateに排除されながらも)政治上のアクターとなる可能性を開いた。Stateを嫌うworking classにとっても、こうしたmutual aidsを可能にするvoluntary associationsは重要だった。
こうしたvoluntary associationsなど、State以外のアクターの重要性を考えると、Victorian Stateがliberalであったかどうかという問いの重要性はさがるかもしれない。実際、当時のイギリス人のnational identityはStateよりもcivil societyに基礎を置くものであった。この特徴は結果的にStateの政治に参入するための重要な方法であるdemocracyの価値も低下させ、男子普通選挙権の導入はヨーロッパで最も遅かった(1880年以降にStateの重要性が上昇)。こうしたlibertarianなStateとそれに対立/補完する形でのcivil societyの重要性という二側面を念頭に入れながらイギリス政治は理解されなければならない。
Ch. 2 The Powers of the Victorian State (Philp Harling)
Victorian periodにおけるStateのcentralisation, responsibilityの増大については長い間コンセンサスがあった。そこではこのプロセスがみんなで段階的なものに進めたという立場と、ある急進派(Benthamite, evangelicals, working-class activities)による努力により政治的課題として理解されるようになったという立場に違いはあったが、Victorian Stateが強大化し、ひとびとのwelfareを改善したという理解については特に疑問が呈されなかった。
- [Benthamite bureaucrats]Jenifer Hart, ‘Nineteenth-Century Social Reform: A Tory Interpretation of History’, Past & Present, 31 (1965), 39–61.
- [evangelicals] G. F. A. Best, Shaftesbury (London, 1964).
- [working-class activists]J. T. Ward, The Factory Movement 1830–1850 (London, 1962).
今日では、Victorian Stateの'revolution in government'論というのはほとんど受け入れられない立場となった。もちろん、central governmentの責任がVictorian時代に領土の防衛以上に拡大したのはたしかだが、それは革命的に急激であったというよりも、よりゆっくりとした、直線的ではない変化であった。そこにはStateの私的自由に対するVictorianの根深い不信があった。
Victorian Stateの特徴として取り上げらえるのは以下の五点:
- respectableなひとびとへの介入を控えること
- それ以外の人々(paupers/prisoners/prostitutesといったmoralからの逸脱者、working-class menやwomenといった二級市民)は介入可能な対象とすること
- poorにmarket disciplineを受け入れさせ、その過程でmarketそのものへのoccasionallyに行ったこと。
- 中央政府に比してlocal agenciesの重要性
- 19世紀末における危機を前にしてのgovernmentの急速な拡大
介入を控える国家
Victorian Stateは財政負担が高く不透明(一部を優遇する)な政府と、そうした政府への人々の不信という者を避けるために、negative liberty (free from X)を通じてsocial fairnessを達成するという方向性が一貫してみられた。
巨大な帝国だが、それを守るための軍事費は案外安かった。植民地での半裸に退位しては軍事技術のレベルの高さによる優位によったし、またインドでは現地住民の税金において守備費をまかなっていた(ということはイギリス国家は安かったが、帝国は別に安くなかったということか)。また、クリミア戦争を除いては陸での直接的軍事行動に参加しなかった。
閑職の整理などにより年金の削減などが行われ、役職のフェアな分配が志向されるようになったらしいが、公務員試験の導入はかなりおそくnepotismは残った。だが、nepotismは残りつつも、役職の指名においてはcorruptionとみなされないような配慮がとられた。このあたりの議論は以下を参照。
- Jenifer Hart, ‘The Genesis of the Northcote-Trevelyan Report’, in Gillian Sutherland, ed., isbb:0415652111:title (London, 1972),63–81
- Henry Roseveare, Treasury: The Evolution of a British Institution (London, 1969), 68–70
- J M Bourne, Patronage and Society in Nineteenth Century England (London, 1986);
- Philip Harling, ‘The Politics of Administrative Change’, Jahrbuch für Europäische Verwaltungsgeschichte, 8 (1996), 191–212.
政府は基本的にはlanded political eliteによってコントロールされていた。特にかれらの利益を脅かすような政治的トピックはなかったので、議会は基本的にrespectableな市民への不介入を原則としてすすんだ。政治にに必要な徳とは「disinterestedness」であった[中立性が重要な徳となったというこの観察は、科学者の形成とも類似していて興味深い。manly virtueとしてのdisinterestedness]。
‘Disinterestedness’ was probably the most highly and broadly prized political virtue of the day. Accordingly, most of the reforms of the mid-Victorian decades sought to convince an ever greater and more complicated body of social interests that the State was no longer involved in the dangerous game of interest brokerage. (p. 30)
こうしたdisinterestednessはeliteだけの徳ではなく、cross-classに受け入れられた。これはMartin Dauntonがいう「a political history of trust」の重要な一章[この本すごくおもしろそう]
*
Trusting Leviathan: The Politics of Taxation in Britain, 1799-1914
- 作者: Martin Daunton
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 2007/12/07
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介入する国家
こうした介入を控えるというのは、国家がrespectableなひとたちを対象としている限りであって、社会の'residium'と見なされた人たちには異なる対処のモードをもっていた。フーコーは描いた強大な規律的介入を行う国家という側面を過大に描いたが、国家はそんな過剰な介入を可能にする官僚機構を備えていなかったという点で誤っている[と評価してるが、これはフーコーの分析水準が合理性に向けられていることついて無視する立場に見える]。しかし、Victorian Stateがpaupers, prostitute, prisonersに対して介入をためらわなかったというのは事実である。
1834年のPoor Law Amendment Actはable-bodiedの貧者はworkhouseで過酷な労働をすることを条件として救済されるというイメージを広げた(が、実際には従来型の救済も継続して行われた)。効果としては、貧民救済に費やされる資金は減少した。また、1870年初頭にLocal Government Boardが設置され、これがoutdoor reliefの数を30%も減少させた(結果、女性、子供、老人はより困難な状況におかれた)。
だが、workhouseの実態はDickensianが大げさに描いたようなものではなかった。Foucault的な規律を達成するには訓練された監督官が必要だが、そんなものを配備する資金はなかった。だが、workhouseは多くの貧しい人たちをStateの印象をcoldでdisciplinarianなものとした。
1868-1874年の第一次Gladstone内閣におけるpenal reformはmoral interventionismを強調した。警察権力により力が与えられ、監獄への収監者数も増えた(pp. 37-37)[これはWilliam Guyによるstatisticsのsocial science化の背景にあった可能性がある。GuyはMillbank Prisonのmedical superintendentとして1859から1869まで働いていた。]。
- Martin Wiener, Reconstructing the Criminal: Culture, Law, and Policy in England, 1830–1914 (Cambridge, 1990), 141–56
- F M L Thompson, The Rise of Respectable Society: A Social History of Victorian Britain, 1830–1900 (Cambridge, Mass., 1988), 309–16.
囚人の(bodyとともに)mindが対象となった。特にPentoville Prisonの過酷なsilen system。その後、他の監獄では善行に応じて待遇が改善されるstages systemが導入される。
- Michael Ignatieff, Just Measure of Pain: The Penitentiary in the Industrial Revolution 1750-1850 (Peregrine Books) (New York, 1978), ch. 7.
(軍人への性病拡大を防ぐために)1860年代のthe Contagious Diseases Actsによる性病の疑いがある女性(prostitutes, working class women)の強制的検査/収容。法律は1886年に撤回される。
社会問題のmarketによる解決
libertyの尊重は基本としてあったが、むき出しのlassez-faireを志向した者はいなかった。Stateは人々の窮状に一定の責任を果たすべきだと見なされていたし、social reformを目指す動きはあった。ただ、こうしたreformは必ずしもhumanitarianな理由によっていたわけではなかったし、しばしば目的を達成する手段をもたず有効ではなかった。児童や女性の労働時間の制限でさえ時間がかかったし、成人男性についてはそもそも国家が制限する権利を持つかどうかさえ疑問に付された。Victorian時代に多くの工場視察官が導入されたものの、必ずしも彼らは状況へと介入する力を持たなかった。こうした社会福祉のための制度のゆるやかな形成については以下の文献。
- Harold Perkin, Origins of Modern English Society (ARK Paperbacks edn., London, 1985), 331–8, 438–42
- H W Arthurs, Without the Law: Administrative Justice and Legal Pluralism in Nineteenth-Century England (Toronto, 1985), 130–1;
- Ursula Henriques, ‘Jeremy Bentham and the Machinery of Social Reform’, and Norman McCord, ‘Some Limitations of the Age of Reform’, in H. Hearder and H. R. Loyn, eds., British Government and Administration (Cardiff, 1974), esp. 175–7, 198
- P W J Bartrip, ‘State Intervention in Mid-Nineteenth-Century Britain: Fact or Fiction?’, Journal of British Studies, 23 (1983), 63–83;
- P W J Bartrip, ‘British Government Inspection, 1832–1875: Some Observations’, Historical Journal, 25 (1982), 605–26
- David Roberts, Victorian Origins of the British Welfare State (New Haven, 1960)., 106–9, 318–20.
greatest goodを達成するためのStateの責任を強調するsocial refomersたちはしばしばBenthamiteとみなされた。だが、かれらにとって、Stateが責任を果たすことと、Stateがmarketに介入しないことの間に特に矛盾はなかった。Chadwickのpoor law改革は、貧者たちを救うことを目指していたが、そうした救済は貧者たちへの無差別な救済を止めることによって達成されるはずであった。
- Perkin, Origins of Modern English Society, 267–9;
- David Roberts, ‘The Utilitarian Conscience’, in Peter Marsh, ed., The Conscience of the Victorian State (Syracuse, NY, 1979), 39–72;
- S E Finer, ‘The Transmission of Benthamite Ideas’, in Sutherland, ed., Studies in the Growth of Nineteenth-Century Government, 11–32;
- Parris, ‘The Nineteenth-Century Revolution in Government: A Reappraisal’;
- Henriques, ‘Jeremy Bentham and the Machinery of Social Reform’;
- David Roberts, ‘Jeremy Bentham and the Victorian Administrative State’, Victorian Studies, 2 (1959), 193–210;
- M W Flinn, ed., Report on the Sanitary Condition of the Labouring Population, by Edwin Chadwick (Edinburgh, 1965), esp. 29.
Chadwickのsanitary reformと1848年のPublic Health Act。それに対する地方のreluctance。[このくだり、どうmarketというテーマと関係しているのかよくわからなかった]
Victorian Stateは都市の貧民たちを前にして、housing marketにもlabour marketにも介入するという手段を用いなかった(これらが問題化されるのは20世紀に入ってから)。改革を志向したcivil servantでさえも、low wages, technological unemployment, de-skillingはsocial reformの対象ではなく、the laws of the marketによって解決されるべきだと信じていた。ここでは、改革への志向とmarket原理の導入は矛盾していない。(e.g. Board of TradeのBenthamitesたちは最低賃金法案をつぶすのに貢献した)
The very civil servants who pressed for sanitary improvements insisted that low wages, technological unemployment, and de-skilling were not appropriate subjects for social reform, but industrial ‘problems’ that could only be sorted out by proper adherence to the laws of the market.[52] Thus Benthamites at the Board of Trade were instrumental in killing the minimum-wage bill that the radical MP John Fielden had introduced in 1835 as a means of shielding tens of thousands of handloom weavers whose jobs were threatened with technological redundancy.[53] (p. 43)
[52] Maxine Berg, The Machinery Question and the Making of Political Economy 1815?1848 (Cambridge, 1980), 250–2, 296–7. [53] Paul Richards, ‘The State and Early Industrial Capitalism’, Past & Present, 83 (1979), 91–115.
The Machinery Question and the Making of Political Economy 1815?1848
- 作者: Maxine Berg
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中央政府に比してlocal agenciesの重要性
Victorian eraにおいて、社会問題の対処する責任はlocalなレベルに委ねられていたのであって、中央政府ではなかった。なので、問題への対処には中央政府の対応ととともに、localなレベルでの行政、慈善、自助によってなりたつmixed economyをみる必要がある。だが、急速な都市化の中でlocal levelでの対処は間に合わず、特に人口過密地域でのpublic healthにといて問題が露見する。かつての歴史家はcentralisationの必要性を理解しないlocalismを断罪していたが、最近の歴史家はlocalな活動がある程度effectiveであったと見なしているようだ。
[この4点目の論点と、一つ前の3点目の論点はsanitary reformに関係するが、いまいちよくわからなかったので、読み直す必要あり]
19世紀末における危機を前にしてのgovernmentの急速な拡大
1901年頃までにはStateの介入は受け入れられえるようになった。
ここには様々な要因がある。
- 貧困の環境的要因
- Alfred Marshallなどのclassical political economyへの挑戦
- working classへの選挙権の拡大と、かれらのlocal governmentへのある程度の信頼/フェビアン系のインフラ公有化を行う都市社会主義へのシンパシー
- 社会改良主義的な対策を行わないと、新しく参政権をえた労働者階級が、階級的問題を議会政治にもちこぬのではというエリートの恐れ
さらに、帝国の危機というものがある。ボーア戦争や、ドイツとの建艦競争によって拡大する軍事費、産業の没落という不安/反動としてのefficieny向上、そして優生学を背景とした人種の退化を防ぐ。こうした退化への対処として、介入することによって、人間の可能性実現(=positive liberty)を、目指した(?)。
ともあれ、以下を読んだ方がよい感じ。
- 作者: Christopher Hamlin
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