没落亭日誌

科学史/メディア論のリサーチ・ダイアリー

17 Oct 2019: Guy, 1847, "Sanitary Commission"/Levine, 2002, Dying to Know Ch. 1

  • 昨日読んだ、Guyの"1774 and 1884"で参照されていた同じFraser's Magazineの記事を読む。あまり、おもしろくなかった。これはたぶん論文ではつかわへんな。
  • その後、George Levine (2002) Dying to Knowの第一章。第一章後半はあまりついて行けない感じの議論になっていったが、そこにいくまではかなりおもしろかった。
  • Journal for the History of Knowledgeという新しい科学史雑誌ができるという情報をえた。オープンアクセスで、ベルギー/オランダ系らしい。グローバル感をおしているようだが、editorial boardを見る限り、ほぼヨーロッパ/北米であった。東アジアからは中国から一人だが、もともとヨーロッパ出身の模様。

Journal for the History of Knowledge

読書記録:[Guy?], 1847, "Sanitary Commission"

    • [William A. Guy] (1847) 'The sanitary comission, and the health of this metropolis' Fraser's Magazine, Sep 1847; 36, 215; pp. 505-517.
  • Fraser's Magazineなので匿名での出版。Guyが作者だとされているが、これ本当にGuyが書いたのかどうかよくわからない。古代都市への賛歌など、あまりGuyの議論でみかけなかったものが含まれている。あと、Chadwickを絶賛しているが、GuyとChadwickの関係性についても検討する必要がある。
  • preventive charityなど、Guyのideaと共鳴するものも含まれているので、Guyのものである可能性もある。しかし、このpreventive charityというのがどこまでGuyのoriginalな発想だったのかという疑問もある。
  • 都市の健康度を示すものとしてaverage age of deathを利用しているが、これはSSLにおいて批判されたような気がするので、これも調査。
  • GROのレポートが頻繁に参照されている。当時、すでにGROの生産するデータが広く使われ、信頼されていたことの傍証。
  • 都市環境について自由放任策をとることの残酷さについての皮肉がいくつあって興味深い。
  • (他の都市に比べて高い)ロンドンの死亡率の数字は単なるdry figureではなく、われわれに行動を強いるというレトリックが利用され散る。dryな統計数字の無視をindifferentでcruelとして告発。ここのimmportal beingの意味がよくわからない。
    • If we suffered ourselves to think seriously on these matters, iſ, as we are bound to do, we looked upon these totals not as dry figures of arithmetic, but as sums of which every unit is the life of an immortal being prematurely brought to a close, we could not persevere in our present indifference, nor our municipal and local authorities in their course of vexatious opposition. It is because we are still steeped in indifference, it is because they have not yet abandoned their cruel opposition, that it behoves us to endeavour to place this annual sacrifice, of which every hour claims at least one victim, in the strongest possible light. (p. 512)

  • charityの無力さを批判し、さらにその本質的なindifferenceを告発するという論法をとっている。このcharityの評価の逆転させ方は結構興味深い。

読書記録:Levine (2002) Dying to Know Ch. 1

  • きちんとしたメモをとらずに読んだので、印象だけメモがき。
  • asetic、冷たく、かつmanlyな徳を備えたheroとしての科学者という表象は19世紀イギリス(1830年ごろには)すでに存在。
    • William WhewellのNewton像 (p. 26) Herschellのheroic epistmologyについてはp. 19。
  • 19世紀のtheory/factの分離(不)可能性をめぐる議論とKant的認識論
    • KantianなWilliam Whewell (and Karl Pearson?)とnon-KantianなJohn Stuart Mill(pp. 24-25)
  • 自己の抹消=客観性の追求というナラティブ
    • 科学的探究が、聖地巡礼的長く苦しい旅路として描かれることも、こうした自己抹消と結びついている。
  • 一番興味深いのは、科学史的記述における人物/伝記の位置というものは、それが前提とするepistemologyに相関するものになる(のでepistemologyとnarrative はたんなる偶然的以上の連関がある)ということ。
    • 主観から完全に自由な客観性なるものへの疑念は英雄的個人による主体の抹消によって達成される客観性というナラティブから共同的に/間主観的に達成される客観性という風に科学史上の主要アクターを変更せしめうるという示唆。(pp. 34-37)
    • それはtrustというものを科学史上の重要なトピックにする。
    • さらに、(疑似)進化論的アイディアの導入されると、科学における自由市場/競争などが知識生産のナラティブ(≒理論)に組み込まれることになる。